その後の人魚姫の物語「シェイプ・オブ・ウォーター」

祝日が映画レディースデーの日だったので何か映画を観たいなと思い

「グレイテストショーマン」と迷ったけど「シェイプ・オブ・ウォーター」に。

人魚姫モチーフに弱い魚座としてはやはり観るしかないかなと。しかも誕生月。

 

多少、ご都合的なところもあるけれど、なかなか良かった。

でも、観た後の感想と言うより、イライザを人魚姫として観てみたらという考察を

語りたくなってしまったんですよねこの映画。

最近あんまり感想をアウトプットしなくてもいいかという方向に来てたのだけど

久しぶりになにか書きたい衝動に駆られて塩漬けになってたはてなを開いたら

はてなブログに変わってたです。まあ、いいや。

 

映画冒頭の水中に沈んだアパートの部屋の中でゆらゆらと眠るイライザの画が素敵。

でも目が覚めると普通の日常空間に戻る。そして彼女の朝の日課が始まる。

ここで彼女のセクシャルな行動があるのですけど

恐らくバスタブに浸かった水中で行ってることが肝心なんでしょうね。

彼女が一番ありのままでいられて、一番心地良くいられる場所とは。

そんな冒頭からのシークエンスで、

イライザは声の代わりに足を手に入れて人間になったけど

王子との愛は手に入れられず、かといって海の泡にもなれなくて

いつか記憶を無くして人間として歳を重ねてしまった人魚姫であるのかなと。

まるで歳を取ったアメリみたいに少女のような趣を残しているのですよね。

(無駄にお喋りなアメリと話せないイライザは対比になってるかも)

人間界でも少しだけ浮いているようなその存在感。

歩き方まで覚束ないように見えてきて

清掃の仕事するなら長靴履こうよ足がラクだよ…とそんなこと思ってました。

 

そんな彼女が職場で出会った不思議な水棲生物。

イライザはその生物を怖がる素振りもなく積極的にアプローチするんですよね。

これは自分と同類の存在だという直感が働いたんじゃないかしら。

彼女には社会的マイノリティ同士であり、信頼できる数少ない友人がいるけれど

「彼」はそれとは違ったのでしょうね。そして友人達と一緒に彼を救おうとする。

王子様を見つけて助けた人魚姫と同じように。

 

イライザの友人の画家ジャイルズが彼女を思い、想像で語るラスト。

人間としてのイライザは死に人魚に戻って彼と二人、

海に還っていったのだろうと思いました。

首の傷跡は元からエラの名残であったのではと。

海の王子である彼が人魚姫を海の世界に連れ戻したのです。

人間界に本当の居場所を見つけられなかった人魚姫を。

 

ラストではリュック・ベッソン監督の「グレートブルー」を思い出しました。

ネタバレになりますが、この映画の主人公である

素潜りの名人ジャック・マイヨールは最終的に恋人のいる陸上の生活よりも

イルカと共に過ごす海中の世界を選びます。深海にいるマイヨールを

友達のイルカたちが迎えに来てそちらに向かうのです。

これは死のメタファーだろうけど、彼は海を選んだのだとわたしは思うのです。

(そういえば、イライザ役のサリー・ホーキンスはマイヨールの恋人役だったロザンナ・アークウェットにも少し似てる気がしたりして)

 

ジャイルズが冒頭で語る「愛と喪失の物語」の「喪失」とは

ファンタジーやロマンティズムが現実世界を完全に去ってしまうという

私たちの生きる世界で居場所の無いファンタジーに殉じる映画であるためかと

そんな感想を持ったのでした。

ベッソンと同じくデルトロもとてもロマンティストな監督だなあと。

 

あ、それと人魚姫だけじゃなくて他の姫モチーフも入ってるよね。

掃除婦はシンデレラだし、王子様のキスで目覚めるのは白雪姫だし。